ポンピン堂 大野耕作・工藤資子

掲載日:2013年09月10日

シンプルな中にも温かみを感じるポンピン堂。その歴史は古く、1867年(慶応3年)に創業した江戸型染め屋「更銈」から始まり、資子さんが5代目にあたる。その更銈を母体とし「伝統的なものに興味がない人にも知ってもらいたい。」「伝統的な暮らしと今の暮らしの間にできた距離を近づけたい。」という想いでデザイナーの大野さんが2002年に立ち上げたのがポンピン堂だ。

ポンピン堂 大野耕作・工藤資子笑顔がステキな大野さんと資子さん

伝統を繋げる

型染めは型紙のベースとなる地紙を作るところから始まる。美濃和紙を柿渋で張り合わせた地紙は完成までに1年ほどかかる。その地紙を使って型紙が作られる。手作業で丁寧に彫られた型紙はどれも繊細で、古い物だと江戸末期に作られたものもあるそうだ。
型紙を彫るのは彫師の役目で、型紙の強度を上げるために紗を張るのは紗張り職人の役目。職人を支えるのもまた職人なのだ。

型紙が完成したら大きなもみの木の1枚板に布をぴったりと貼付け、そこに型紙を置いて糊を塗る作業が始まる。反物の長さは12m。紙は湿度で収縮するのでスピーディにやらないと柄の幅が変わってしまうそうだ。

繊細な型紙型紙を置く→糊を塗るという作業が反物の端から端まで繰り返される

糊が乾いたら板から布を外し、布に染料が入りやすいように豆入れ(※ごいれ:大豆をすり潰して作った薄い豆乳のようなものを布に塗ること)をする。豆入れが終わったところでようやく染めに入る。

1つの色を反物の端から端まで入れ終えたところで違う色の筆に持ち替える。そしてまた反物の端から端まで色を入れていき、全ての色が入るまでこの作業が繰り返される。こうして時間をかけて丁寧に染め上げた反物は大きな蒸し箱で蒸されたのち、水洗いをして糊を落とすことでようやく柄が姿を現す。一反の反物を染め上げるのに1ヶ月から1ヶ月半ほどかかるこの作業を、資子さんは一人で行っているそうだ。

大野さんも仰っていたがまさに「伝統工芸」である。

しかし、このやり方だと手間がかかってしまうため、1度に沢山の商品を作れなくなってしまう。商品の価格も上がってしまう。また、色落ちなど使う際に気をつけてもらいたい事が沢山出て来てしまう。そうなってしまうと伝統的なものへの距離を縮めることが難しい。

伝統と人を繋げる

伝統的なものに興味がない人でも気軽に使ってもらえるためにはどうすれば良いかを考え、試行錯誤を繰り返した後、型染めの技法を少しだけアレンジすることでそれらの問題は解決した。

守袋と合財袋この状態から作業が始まる

型染めの技法をアレンジしているとは言え、手作業であることには変わらないし「職人を支えるのも職人」ということも変わらない。だけど、アレンジしたことにより商品を沢山作れるようになったし、色落ちなどの心配もなくなって気軽に使ってもらえるようになった。このようにして作られた商品の1つに「守袋」がある。

守袋守袋と代々伝わる大切な色帳

「守袋」とは文字通りお守りを入れるための袋である。現在はお守りと言うとお札などが既に袋の中に入った状態になっているが、江戸時代は袋には入れられていなかった。そのため、お札などを入れるために「守袋」が必要だった。サイズにすると名刺大ほど。ポンピン堂の守袋が少し小さめに作られているのはそのためだ。

そして守袋の紋様にはそれぞれきちんと意味がある。紋様に込められた意味を知り、そこに自分の想いを乗せて誰かに贈る。受け取った人は紋様に込められた意味を知り、そこから相手の気持ちを知る。そんな風にして人から人へ伝わり、今では守袋がお守りのような存在になっている。

守袋の型紙守袋の型紙は先代が買い残してくれた地紙を大切に使って作られていた

紋様は気持ちの器

お話を伺う中でとても印象的だった言葉がある。それは大野さんが仰っていた「紋様は気持ちの器」という言葉だ。伝統的な紋様に自分の気持ちを乗せて相手に届けるのだ。
ポンピン堂の商品は紋様の数だけ気持ちの器が用意されている。その中から自分の気持ちに一番寄り添う一品を選んでもらえたら嬉しいし、気持ちの贈り物が人から人へ伝わっていったらもっと嬉しい。

(写真・テキスト/日本百貨店)


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