採用情報

日本百貨店では、一緒に働く仲間を募集しています!

日本百貨店代表・鈴木 正晴からのメッセージ

日本百貨店代表・鈴木正晴日本百貨店 代表の鈴木 正晴です。いつもご愛顧どうもありがとうございます。

このたび日本のモノヅクリを一緒に盛り上げる新しい仲間を探すにあたり、創業からの我々の思いや志、またこれからの活動についてどのように考えているかをまとめました。

長くなりますが、ぜひご一読いただき、ご興味いただければと思います。熱意を持ち、楽しく共に前に進んでいける仲間を探しています。お会いしてお話しましょう。

masa@contan.co.jp
代表・鈴木正晴 メールアドレス


1. ご挨拶

日本百貨店(ニッポンヒャッカテン)は、2010年12月10日に、東京・御徒町のモノヅクリの街2k540(ニーケーゴーヨンマル)に誕生いたしました。

御徒町本店外観2k540に誕生した日本百貨店

今ではその御徒町本店を中心に、吉祥寺(屋号 Nippon Department Store)、横浜・たまプラーザ(日本百貨店てらす)、池袋(日本百貨店ぷらっとほーむ)、秋葉原(日本百貨店しょくひんかん)と、場所ごとに独自のMD(商品構成)で店舗展開を行っております。

商品構成はそれぞれですが、共通したテーマは「日本のモノヅクリスグレモノ」。何世代にもわたり伝え続けられた技や思い。若い才能によるクリエイションと伝統技術のコラボレーション。その地域でしか味わえない昔ながらの味。日本全国の作り手の思いを使い手に伝えたい。そのために、日本百貨店は作り手と使い手の出会いの場であり続けたいと考えております。

ポンピン堂伝統と人と繋げるポンピン堂の守袋

ヒトとヒトの出会いは、新しいコト、モノを生み出します。その出会いの場は、自然と活力を持ち、より多くのヒトコトモノを引き寄せます。場所には力が宿ります。

私はこの力を、場力(バヂカラ)と呼んでいます。

おいしい、たのしい、これほしい。
その裏にある、モノヅクリに触れる場所。

なぜ、そのような場所を作るのか。

それはひとえに、日本百貨店が、日本のモノヅクリにきちんとしたお金を廻すことで、そのモノヅクリがずっと続いていける仕組みになりたいと考えているからにほかなりません。

その場所、その仕組みこそが日本百貨店なのです。

2. 日本百貨店の誕生

2-1. 会社の設立。

私は1997年に大学を卒業し、伊藤忠商事という大手総合商社に就職しました。
アパレル関係の部署だったのですが、明るく活気のある職場で、国内外さまざまな場所で様々な方々とお会いでき、ビジネスの規模も大きく、楽しい仲間たちに支えられ、本当に幸せな時間を過ごしました。待遇もよく、辞めないといけない理由は全くありませんでした。いまだに前職の先輩・仲間たちとは楽しくお付き合いさせていただいております。

伊藤忠商事では海外ブランドの日本展開に関する仕事を担当していました。華やかなブランドビジネス。大きなお金が動き、ひとつの気づきがたくさんの収益になり、また新しい仕事を生み出していく。そんなダイナミズムに魅了されていました。

基本的には海外のブランドの権利を買い、そのブランドの商品を仕入れ、日本国内で売る。その流れのなかで、大きな違和感を感じるようになりました。国産の商品は品質も良く、長持ちする、ということがひろく言われているのに、なぜなんとなく海外の商品のほうに重きが置かれるのか。日本の素晴らしいモノについて、自分たちがきちんと価値を理解していないから、海外に向けての発信もそれほどできておらず、目の前にある国産のモノヅクリがないがしろにされているのではないかと、そんなことを考えるようになったのです。

ちょうどそのころ、トヨタのプリウスが出始めで、当時は国内よりも海外での評判がよかったのですが、イタリアの取引先との雑談の中で、プリウスについての質問を受けました。私は新聞で見た程度の薄い知識しかなかったのですが、彼は私よりも詳しく、いかにイタリアやアメリカでプリウスが評価されているかを教えてくれました。

日本人のコンプレックスなのでしょうか。そのころは今以上に、国内のものを使うよりは海外ブランド品を求める風潮がありました。日本よりも海外のほうが、国内外問わず“いいもの”を“いいもの”と認める土壌があったのかもしれません。島国の弱みでしょうか。

きっかけは付き合いのあるメーカーのおじさんたちのお話や、流通関係の社長さんのお話、あるいは日本のモノヅクリ業界が跡継ぎ不足だという内容のテレビ番組だったかもしれません。とにかくいろいろなことが重なり合って、私は「日本のモノを輸出したい。ブランド化したい」という思いを持つようになりました。

そして2006年3月に愛する伊藤忠商事を退職し、株式会社コンタンを設立しました。
社名の話をしますと、コンタン=魂胆です。「魂胆見え見え」のコンタン。
商売は“儲ける!”はじめ、様々な魂胆のぶつかり合いの面があります。ただ、その魂胆を隠したり出し惜しみをしたりするのは大きな時間の無駄だと考えています。我々はこういうコンタンがある!というのを正々堂々と表に出して、相手の魂胆もきちんと理解して、前向きな取り組みをしていこうよ。我々には嘘も隠し事もないよ、という意味を込めて、一番目立つ社名を“魂胆”にしたのです。

2-2. 日本のスグレモノ発信。

まずは「日本のアパレルブランドを海外に輸出する」と考え、単身海外の展示会に出かけ、セレクトショップなどと商談。いい仲間にも恵まれ、忙しい毎日を過ごしました。

そのたくさんの人との出会いの中で、アパレル以外でもたくさんのモノヅクリに携わる方々と触れ合うことができました。葛飾区のブリキ職人。江東区の江戸切子職人。桐生市の和紙職人。その方々と話すたびに、こんなに素晴らしいものがたくさんあるのに、どうして日本人にさえ知られてないのだろう。そう感じました。

日本のイイモノを伝えたい、ということで短絡的に輸出の仕事をしたいと始めたのですが、実は根っこはもっと深く、まずはきちんと日本国内で認知されること、モノヅクリが続けられるようにお金がきちんと廻る仕組みを作ること。これこそが大事で、その根っこをしっかりしたうえで海外マーケットに展開する、それが正しい順序じゃないかと考えるようになりました。また、アパレルという分野にこだわらず、食や雑貨や伝統工芸品や、とにかく自分の扱えるすべてのmade in JAPANを対象にしたいとも考えました。

おかちまち本店オープン当時のおかちまち本店 (1)

アパレルの輸出の経験をしたことは非常に大きかったです。海外の方々の日本のデニムや帆布に対する知識や期待。商談の中で、日本のモノヅクリに対する尊敬の念を感じることができました。理解してくれている人はいる。きっとマーケットはある。

そこで輸出の仕事は将来の夢としていったん保留にして、まず国内で“モノヅクリ”文化をきちんと広める、わかってもらう。またモノヅクリにきちんとお金を廻していくための仕組みを作る仕事をすることにしました。

そう思い立ってから丸々3年がかりで、初めての店舗である「日本百貨店」をオープンしたのが2010年12月10日です。

おかちまち本店オープン当時のおかちまち本店 (2)

モノヅクリ広告代理店やコンサルティング的な仕事がいいのか、ほかの人がやっているお店の日本商材のバイヤーとして、商品を集積して発表する仕事なのか。たくさんの方々に賛否両論ご意見をいただきましたが、悩んだ挙句に、作り手さんと同じく自分もきちんとリスクをとり、自分で「出会い」の場所を作ろう。自分が仕組みになろう。自分でやる。そう覚悟を決め、小売店舗を運営することにしたのです。

3. 日本百貨店の歩み

3-1. 東日本大震災。

オープン後3か月で、東日本大震災が起きました。店内はめちゃくちゃ、商品は入ってこない。4名いたスタッフも2名が出社しないようになり、今の執行役員の佃と、私の二人で、それでも店を守っていこうと日々営業を続けました。ほとんどだーれもこない店舗での営業。パラパラ来てくださるお客様は当社の食品をお求めの方が多かったです。その中で少しずつ生まれる会話。やってくれてて助かった、また来るよ。そんな少しずつの積み重ねから、日本百貨店は始まりました。

4月になり、思いがけないことが2つ、起こりました。

1つは、震災後にお店に来てくださっていた方が、常連さんになってくださって、遊びに来てくださるようになったこと。

もう1つは、震災で、図らずも日本製の商品というものに俄然注目が集まるようになったこと。4月後半からのゴールデンウィークには、今まででは考えられないくらいたくさんのお客様がお店に来てくださって、うれしい悲鳴を上げることになりました。

おかちまち本店にぎわうおかちまち本店 (1)
おかちまち本店にぎわうおかちまち本店 (2)

それからは“作り手と使い手の出会いの場”を増やそうと、いくつか“ここだ!”“この人だ!”と思った場所・商業施設への新規出店を行ったり、また出店ができない地域では信頼できるパートナーを見つけて、商品を卸して「日本百貨店コーナー」を作ってもらったり。一例としては、我々のようなお店に興味がない人でもたくさんの方々が通りかかり、偶然の出会いが生まれるようにと考え、本屋さん(丸善 日本橋店・丸の内店)の中に当社のコーナーを設置していただいております。

常設の店舗は、とにかくそれぞれのキャラクターに合わせて、店長やスタッフと協業しながら店舗ごと独自のMD(商品構成)を心がけています。

3-2. 作り手と使い手、そして売り手の出会いの場。

スタート時から、日本百貨店は“作り手と使い手の出会いの場”という考え方は変わらっておりません。たくさんの作り手が、たくさんの使い手=お客様と出会えるように、知恵を絞りいろいろな企画を練っていますが、ベースは人間づきあい。各店長はちょっとホリグチさんたまにはお店に来てよ、とか、フジイさん今月はいつ来てくれますか?なんて作り手さんたちに気楽に声をかけ、作り手さんたちも「スズキさん来週出張で東京だから、1日だけ売り場に立ってもいいですか?」なんて連絡をくださる。作り手もニッポンヒャッカテンを楽しんで使ってくれているんですね。

日本百貨店てらす店日本百貨店てらす店

その出会いに、我々売り手もちゃっかり参加させていただいております。

作り手は毎日売り場に来るというわけにはいきませんから、作り手が居ない間は我々売り手が、しっかりと作り手の思いを伝えていく作業を引き継がないといけません。だから、我々も作り手との出会いを楽しみ、ひとつひとつの思いを受け、共感し、モノを使ってみる。食べ物なら味わってみる。そんなことを毎日繰り返しています。

NipponDepartmentStoreNipponDepartmentStore

オープン当初は商品選びから仕入、支払まですべて私が担当しておりました。実はつい先日まで、その体制で、私が一人バイヤーとして商品選びをしていたのですが、最近はスタッフ全員に、少しずつ参加してもらっています。

きっかけは2013年7月にオープンしました、秋葉原の日本百貨店しょくひんかんでした。全国のコダワリの食品ばかりを集めた、総面積300坪の店舗は圧巻。出会いの場らしく、たくさんの作り手が毎日店舗を訪れて、たくさんのお客様との出会いを楽しんでいます。

ここは日本百貨店初めての食品専門館であることに加えて、かつてないオオバコで、オペレーションの確立に一番苦労しました。

日本百貨店しょくひんかん日本百貨店しょくひんかん

そもそも社長が未経験で、集まったスタッフもほぼ小売未経験者。そんな中で熱意と気合だけで、ああでもないこうでもない。毎晩遅くまで模様替えを行うことも頻繁にあります。そんな忙しく体力もすり減らしている中、スタッフたちが私に、「自分たちでも仕入をしたい」という強い思いを伝えてくれたのです。これはうれしかった。

大体忙しくなると、自分の仕事を減らしたい、早く帰りたいというのが人情だと思うのですが、逆に仕事を増やすことになるのに、自分たちでも商品を探してみたい。社長が楽しそうにやっているたくさんの方々(作り手)との出会いを、自分たちでもやってみたい。

迷うことなく一緒にやることになりました。そして、雑貨店舗のほうも聞いてみると、やりたいという希望者が多数。そこで少しずつではありますが、担当を決め、仕入の楽しさ、大変さを経験してもらっています。

日本百貨店ぷらっとほーむ日本百貨店ぷらっとほーむ

スタッフにはいつも、「楽しくやろう」ということをしつこくしつこく話しています。仕事ですからそりゃ大変なこともたくさんありますし、責任も付きまといます。しかし、せっかく同じ時間を費やす「仕事」というものをするのであれば、その仕事が楽しいものであれば、人生がきっと楽しくなります。楽しければきっと能力も100%、120%発揮できるはず。だから楽しく仕事をしよう。最終的には責任は全部社長なんだから、肩の力を抜いて、気楽にやれ。いつでもなんでも相談すればいい。ただし、最後の最後まで人のせいにはせず、自分の責任だと思って、ぎりぎりまでやりきるんだ。そんなことを話しています。暑苦しい会社です。

そうやって、最初4人でスタートしたニッポンヒャッカテンが、今は40人もの仲間に増えました。

4. 日本百貨店の目指すもの。

ここまで読んでいただいて、たぶんお分かりだと思うのですが、日本百貨店のすべての原点は、“ヒト”にあります。商品の仕入れの時に私がこだわるのが“ヒト”の部分です。例外はあります。作っている人と直接会わずに、商品を仕入れることもあります。
ですが、日本百貨店のコアとなる部分の商品仕入れは、必ず作り手と会いお話をして、生産現場を見させていただいて、お互い信頼関係を築いて、一緒に取り組む、という意識をもって、仕入を行います。

特に食品は、正直に言うと全国に同じようなものがあります。それが同じくらいおいしいとき、仕入れる商品をどうやって決めるのか。

我々は、このヒトの商品を売りたい。そう思えるヒトの商品を、迷うことなく選びます。

NipponDepartmentStoreお客様とのコミュニケーションを大切にするスタッフ (1)

おかちまちの本店の出店に始まり、きちじょうじやたまプラーザ、しょくひんかん、ぷらっとほーむ。すべての出店はヒトとの出会いで決めました。担当される方の熱意、我々のことをどこまで理解してくださるのかという点も大事。信頼関係の上で、我々も商業施設側にできるだけ力になれるように、全体が盛り上がるようにと常に考えます。

たとえばですが、しょくひんかんにはよく各地域のゆるキャラが、地元産品のプロモーションに来てくれます。そのゆるキャラをほかの店舗、たとえばたまプラーザやきちじょうじなどに連れていくこともよくあります。うちの店舗が盛り上がる、というよりも、その商業施設に来てくださっているお客様が喜んでくれて、また来てくれる一助になればうれしい。心からそう思っています。

日本百貨店しょくひんかんしょくひんかんに来てくれたひのじゃがくん

出店してるんだから家賃払えばいいだろ。あとは勝手にやらせろ。
出店させてやってるんだからきちんと家賃払え。あとはお前らやれ。

そうではなくて、お互いが運命共同体ですから、お互いが盛り上がることを、思いやりを持ちながら見つけていくことを心がけています。

作り手との関係も全く同じ。

仕入れてやってるんだから金払えばいいだろ。あとは勝手にやらせろ。
卸したんだから、あとはそっちでお客さんに売ってくれ。あとは勝手にやってくれ。

そうではなくて、一緒に売ろう、一緒に育てよう、そういう思いが通じ合う作り手の商品は、やはり店舗で売れるのです。売り手も人間ですからね、気持ちが通じ合ったヒトのものを売るのに力が入るのは人情です。

このべたべたしたアッタカミ。人情。下町の、寅さんのような感じ。

日本百貨店は、何年たっても、この部分は必ず持ち続けたい。

だから無理な商売や、儲けるだけの商売は絶対にしません。ひとつひとつ、モノの背景にあるヒトの思いをしっかりと伝えていく。そして作り手にしっかりとお金が廻る仕組みを作っていく。愚直に続けてまいります。

日本百貨店てらす店お客様とのコミュニケーションを大切にするスタッフ (2)

これからの日本百貨店ですが、事業として以下のようなことを進めてまいりたいと思っています。

  • 新規出店
    直営店出店を2年内にあと2店舗~3店舗検討しております。
  • ECサイト(オンラインショップ)の充実
    現在後回しになってしまっているECですが、遠方からお越しのお客様にたくさんのリクエストをもらっています。あれをもう一個ほしい!にこたえていきたいです。
  • MD提案・商品開発をベースとした卸販売、フランチャイズ、コンサルティング
  • お客様データの整理と有効活用
    より効率的な出会いの場を目指します。
  • カタログ通販・取り寄せ・店舗取り置き
    より一層お客様との関係を深め、サザエさんの“三河屋”さんのような存在になれる可能性を探ります。

そして、夢として棚上げしていた海外進出。こちらは2015年度中に着手し、海外でも“出会いの場”を創出してまいります。
また飲食店も物販に絡めて立ち上げたいと考えています。実際に食べて飲める場所、集まれる場所。夢は夜開く。飲みながら話した夢のあることを実現していきたいです。

我々の強みは、400社以上におよび仕入先とのコネクションと、お客様と触れ合えるリアルの場。また、思いを持った売り手、つまり我々スタッフの存在。そして自治体をはじめとしたたくさんの応援団の存在です。

この強みを生かした、べたべたした下町の人間づきあいのような経営を、今後も続けてまいります。

5. 力を貸してもらいたい分野。

夢は大きい日本百貨店。ポテンシャルもあります。

ですが、人が足りません。一緒に楽しんで、出会いの場を確立してくれる仲間を探しています。採用条件は相談のうえ決定させてもらえればと思います。

我こそはという方はぜひ、鈴木までご連絡ください。時間の許す限りたくさんの方にお会いして、仲間になりたいと思っております。

募集要項

雇用形態 アルバイト・社員 ※社員登用応相談
募集職種 各店販売スタッフ、本社事務スタッフ等 詳細はお問い合わせください。
勤務時間 応相談
給与 職種に応じます。
参考:店頭販売スタッフ 時給1,000円〜
待遇 交通費実費 別途支給
従業員買物割引有
社員は社会保険完備
(健康保険・厚生年金保険・雇用保険・労災保険)

採用の流れ

鈴木宛のメール → 鈴木より返信 → 鈴木面接 → 担当部署責任者面接 → 採用

masa@contan.co.jp
代表・鈴木正晴 メールアドレス

もっと日本百貨店を知るために

ぼくが始めた日本百貨店朝日新聞SHOP内でコラムを連載しています。
こちらもぜひご一読ください。

ぼくが始めた日本百貨店

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